2010年10月16日土曜日

教育におけるInput-Outputと日本とアメリカの医療の根本的な違い OHSU(9日目)

OHSUの9日目は午前中は講義、午後はCHHで研修です。
講義は2コマで1つはスポーツ医学の講義で肩と膝の診察法の講義でした。
日本と違うところは講義の後にしっかりと2人組になって所見が取れるかどうかを練習する時間が作られており、教員がそれぞれのペアを回って指導したり質問を受けたりする時間が確保されていた点だとおもいます。
どの教育もInputだけでなくOutputがしっかりとしていますね。

もうひとコマはPalliative Careで症例を使ったロールプレイ、症例は動けなくなった高齢者、2人の子供と2人の息子がいて、ケアマネと医師を交えた家族会議を開き、最後をどのような場所で迎えるかについての内容でした。
HospiceについてのCriteriaなどがあったのでPEGやFeeding TubeについてのCriteriaやGuidelineはないのかと聞いてみましたが実際にはなく、やはりアメリカでもCase by Caseのようです。
やはりUniversal Careじゃないこと(つまり長生きすればするほど医療費が膨大にかかる)が無駄な延命の抑制につながっているので敢えてガイドラインを作る必要がないのかもしれませんね。

しかしアメリカと日本の医療の違いを考えるとやはり保険とは切り離して考えるのは難しいと思うことがしばしばです。
OHSUではすべての職員で3000人、Family Medicineの職員(医師、研究員、看護師、事務)の人数だけでもかなり膨大な人数です。つまりはそれだけPayできる収入が部署としてあるということなのかなあと、、、。言ってしまえばアメリカは金を払えない奴は見ないというシステムですが、、、Payできていないと地域の医療を支える診療所の経営や研修医の教育、その他の研究などに必要な医師の数も確保できないということです。

日本の場合、地域の医療を支える公立病院はほとんど赤字です。
Universal Care(国民皆保険)医療費が安く、無駄な入院(主訴:心配だから入院させてくれだの、、、家で見れないから預かれだの、、、)が多く、風邪などの無駄な受診が多い(特に時間外受診)。
それに対応するために医師が必要であるので人件費はかさんでいく、、、そしてまた赤字に加速がかかる、、、。
日本の医療崩壊は、医師や看護師が足りないということが原因の一つもあるがUniversal Careにより患者の出費が少なく、医療へのアクセスが経済的要因で制限されないことが原因の一つだろう。
Individual Insurance(個人で保険に入る)がいいというわけではないけど、Universal Careではありつつも保険料以外に年間で納める税収に応じた医療費の上限額を設定すること、受診時の重症度に応じた負担額の相違を設けることをしないと今後の日本の医療は継続性を保つのは難しいなあと感じました。

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